三船のブログ

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ネタバレあり『まほり』感想

本感想について(本感想とは本の感想という意味ではなく「本サービスは…」とか言うときの「本」。「当感想」もちょっと考えたけどこのややこしさを度外視すれば「本感想」の方がしっくり来たのでこちらを採った)

・核心レベルのネタバレはしていないつもりですがネタバレ回避したい方は読まないことをお勧めします

・事あるごとに同著者の作品『図書館の魔女』を引き合いに出しているので『図書館の魔女』を読んでいないとよくわかりません

あらすじ:

大学院で社会学研究科を目指して研究を続けている大学四年生の勝山裕。卒研グループの飲み会に誘われた彼は、その際に出た都市伝説に興味をひかれる。上州の村では、二重丸が書かれた紙がいたるところに貼られているというのだ。この蛇の目紋は何を意味するのか? ちょうどその村に出身地が近かった裕は、夏休みの帰郷のついでに調査を始めた。偶然、図書館で司書のバイトをしていた昔なじみの飯山香織とともにフィールドワークを始めるが、調査の過程で出会った少年から不穏な噂を聞く。その村では少女が監禁されているというのだ……。代々伝わる、恐るべき因習とは? そして「まほり」の意味とは?

 

導入のインパク

 『図書館の魔女』では物語がゆっくりと動き出し、ゆっくりと結ばれたが、今作『まほり』はインパクトのある導入で読者を一気に惹きつけ、最終盤まで重要な展開が残される。読者が序盤で脱落しにくくなるので良い構成だと思った。ただし中盤大変だけど・・・

 

朝倉さんと志賀さん

史料を批判的に読むことを重要視し歴史の裏を明らめんとする朝倉さんと、史料に虚実が織り交ざっていることを受け入れ、史料の一々の真実性には踏み込まない志賀さんという二人の専門家が登場する。

スタンスの異なるこの二人の存在は、『図書館の魔女』における自由学芸を尊重する高い塔と検閲の重要性を説くニザマ帝室を想起させた。尤も、高い塔とニザマ帝室の思想は明確に対立するものである一方、朝倉さんと志賀さんの考えは歴史学の両輪であるから、関係性はむしろ真逆かもしれない。

 

「膨大な史料」

中盤に登場する大量の史料そのものに興味を惹かれることはなかったが、これらには以下の効果があると思われる。

・作中に提示される抽象論と結びつき、抽象論の説得力を高める(例:「史料の書き手は宛先以外の読者を想定している場合がある」という抽象論と「地方藩主による子間引きの禁令」)

・答えがすぐわかっては作品として味気ないので、少しずつ真相に近づく様子を描く(鍵が用字にあることに気づく→因果の転倒という仮説に辿り着く)

・史学・民俗学研究の実際を体験できる

・実在のものを交えた史料から因習を導き出すことによって、現実とフィクションがシームレスに繋がっているように感じさせる

 

裕と香織の恋模様が陰鬱な歴史を紐解く中で清涼剤となる。特に、裕に名前を呼ばれたときに「それがいいん」と言って機嫌が良くなり、その後も名前を呼ばせようとするところと、裕が告白した後に早口で大量に言葉を並べて相談を持ち掛けるところは、香織の絶妙な心理をピンポイントで表現しており、彼女の人物像にとても愛着が湧いた要因となった。

『図書館の魔女』では明確に描かれることのなかったこのような恋の描写から、この著者の新たな能力を垣間見た。

 

桐生先生

「博 覧 強 記 の 変 人」。終盤に現れた人物が華麗に問題を解き明かすのは『烏の伝言』を思い起こした。現代日本版マツリカ様。発達母音のくだりはブログ「言語学の余白に」を読んでいる気分になって心地が良かった。ところで私が特に注目したのは以下の場面である。

「はい判りました」
「もう計算出来たんですか」
「杉本君がネットで和暦換算のサイトを見つけました」
「そうですか」少し気が抜けた。数百年前の暦を言い当てるような才人(サヴァン)かと思い始めていたのである。

何気なく挿まれたやり取りに見えるが、私はここから、並外れた速算や記憶力を作中で披露することに終始する「天才キャラ」も世に多い中で、桐生先生がそのようなことができないと敢えて描写することによって、本当の「賢さ」とは何かということを逆説的に説いているように感じた。

 

まほり

まほり